今日から3月がスタートしました。
太陽の日差しが暖かく、穏やかな日が続きますが夜はまだ冷えますね。
本日のブログはからだのことから離れた内容になりますが、離れながらもからだのことやヒトとの関わりにつながることを感じることを書いていきたいと思います。
僕にとってからだのことを学ぶということは、生きることへの恩恵であったり、人生という限られた時間の中で何に全うし生きていきたいのか…少し大げさかもしれませんが、それらと向き合う感覚にもなります。
それは日々お客様との関わりにおいても同じです。
家族や恋人、仲間など、きっとこちら側の想像を超える領域でお客様それぞれに守りたいものや、大切にしている想いがあるはず。
自分も小さい頃から憧れていた空の仕事、飛行機の仕事に就くことができたと思ったらからだの問題で退職せざるを得ない状況に追い込まれたからこそ、いま目の前にいるお客様には生きることに最大限でいられる関りをしていきたいという想いです。
お客様の生きることへの最大限に関わるなんて言うとおこがましいかもしれませんが、そんな自分の根本になっている想いを改めて再認識することをふと考えていました。
昨日スタジオの営業を終えて、月に1回担当させていただいているお客様とのセッションのためフィットネスクラブへと移動し、その後月末の事務作業のためスタジオに戻り、なんとか終電すべり込みセーフで帰宅することができました。
自宅の最寄駅に着き、自然と歩くペースもゆっくりになっていましたが自宅に向かってとぼとぼ帰宅していました。
すると、いつも帰宅の道で使っている大通りが深夜の道路工事のため通行止めになっていました。
(深夜道路工事をしている作業員の方達を見ると、ちゃんと住民税を収めようと本気で思います(笑))
住宅街を抜ける別ルートで帰宅することにしましたが、以前通った時の記憶と周囲は明らかに変化していました。
住宅街のマンション全ての壁一面がペンキで綺麗に塗られていて、エレベーターがなかったマンションにはエレベータが取り付けられ、街灯も少ない深夜の暗い中ではありましたがその見違える変化に衝撃でした。
自宅から徒歩1分以内の場所にあるにも関わらず、全く知りませんでした。
翌日の朝、住宅街の周辺をランニングし辺りを見渡すと、夜とは違い明るいところで見るとその変化がはっきりと分かりました。
子供の時に友人と野球をしていた広場はなくなり、いつも野菜を売りに来ていたおばあちゃんもいませんでした。
時間の流れは、自分自身も、身近にあるものも、自然にカタチを変えていきます。
ヒトのからだにおいても、その時の変化に対してどのようなアプローチ方法で気づきを与えていくことができるのか。
そのためには、こちらも今目の前で起こっている変化をキャッチするセンサーを鈍らせてはいけない。
また、対人関係でも身近な存在であればあるほどに予期していなかったタイミングで問題が生じた時、その変化に対して噛み合わない歯車を合わせる方法を探そうとします。
いつだって目に見えるものだけでなく、それは思考にも影響を与え、たとえ目指していきたい場所が同じ歩んだ先にあるものだったとしても、矢印の方向が時々すれ違うこともあって、交わりをくり返します。
軌道修正のために、想いとは真逆の道を選ぶことさえもあります。
今いる居場所がどんなに深く光が差し込まない場所だったとしても、どうか自分のことだけは信じ続けられますように。
志向が這い上がるための原動力となり、闇を抜けたその先に、待っている人たちがいることを忘れてはいけません。
結果は理不尽で不公平なものだったとしても、そこには否定もなければ肯定もないということ。
生きることは選択の連続で、歩みを止めないその先に、これで良かったと、全ては自分の捉え方で決めることができるから。
時に立ち止まり、振り返ることがあったとしても、歩みを止めないように。
過去の思考や起こした行動が今という結果や居場所に導かれるものなら、未来に変化を与えるのはいつだって今というこの2度とない瞬間。
変わっていくもの、変わらないものを大切に。
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