focolulu(ホコルル)
ピラティス&パーソナルトレーニングスタジオ
代表トレーナー 石堂浩毅(イシドウ ヒロキ)
・保有資格
PHIピラティスインストラクター
(MAT/ PROPS/ BARREL / CHAIR / TOWER)
Reformer for Motor Learning ~imoks Mentorship~ 修了
PRIマイオキネマティックリストレーション 修了
PRIポスチュラルレスピレーション 修了
PRIぺルビスリストレーション 修了
JRTA認定 ランニングインストラクター
赤十字ベーシックライフサポーター
・略歴
大手フィットネスクラブ専属パーソナルトレーナー、東京・大阪で展開しているピラティス専門スタジオのパーソナルトレーナーとして活動。
約100名以上のくり返す肩こりや腰痛、産後のからだのゆがみや体型の崩れ、ランニング時の膝痛やフルマラソン記録更新など、お客様が抱える様々なおからだのお悩みの問題解決に携わる。
また、法人事業として東大阪にある医療機器メーカーの社員様を対象としたピラティスグループレッスンを実施。
現在は摂津市にある保育園の保育職員様を対象としたピラティスグループレッスンを定期開催。
・講師登壇歴
■2018年2月
『姿勢と動きを繋げる~呼吸機能の基本コンセプトから評価・ピラティスへの実践~』
■2018年10月
『ピラティス理論を活用した肩複合体へのアプローチ』
・主催セミナー歴
■2018年1月
『足部機能と姿勢制御』
講師:伊佐地 弘基
■2018年10月
『産後の身体の変化から骨盤底筋機能などマイナートラブルの評価・アプローチ方法』
講師:杉山 友香
■2018年12月
『ヒトの身体を足部から変える~足部機能と姿勢制御とパフォーマンス~』
講師:伊佐地 弘基
実は私、もともと航空業界に身を置き仕事をしていました。
特殊な業界からの転職。
私がなぜトレーナーという職を生涯の仕事として選んだのか…。
少し長くなりますが、下記に綴っていきます。
航空業界からの転職。
航空専門学校を卒業後、愛知県にある航空機製造メーカーの品質保証部に就職し、航空機組み立て検査員として仕事をしていました。
入社1年目の私が配属された現場は、防衛省関係の航空機組み立て現場でした。
莫大な情報量の図面、聞きなれない言葉、上司の厳しい指導など、とにかく覚えることがてんこ盛りの新入社員時代でしたが、『もう嫌だ!』とか『辞めたい!』なんて思ったことはありませんでしたし、大好きな航空機の仕事にやりがいだけを感じて充実した日々を送っていました。
充実した日々とは言っても、当時の労働時間や特殊な材料・薬品を取り扱う工場の環境が身体に負担をかけてしまい、睡眠時間は短く食べ物といえばほぼ毎日コンビニ弁当という状況でした。
休日は普段の睡眠時間を補うために、ほとんど寝るだけで1日が終わってしまうような生活でした。
そんな生活を2年くらい続けていると、みるみる身体に影響が現れるようになりました。
肌はボロボロになり、食べ物も受けつけないという状態にまでなってしまいました。なによりも、外出することができないという状況になってしまい、仕事も休みがちになってしまいました。
自分が期待するほど身体の状態は回復する様子も見せず、当時の主治医からは『今の仕事を継続することは難しいんじゃない?』と言われてしまいました。
それでも何とか仕事を続けたいという思いが勝っていたので、身体は悲鳴をあげながらでも仕事に行ける日は仕事に行くように努めました。
しかし、そんな私の状況を近くで見ていた上司から『会社は定年まで面倒見てくれるけど、自分の身体は一生自分で面倒見ていかないといけない』と言われたその時に、目が覚めたように気がつきました。
自分の健康を犠牲にしてまで、家族や仕事仲間に心配をかけてまで仕事を続けることが今自分にとって最善の選択なのか?
当時お世話になっていた上司の言葉があったからこそ、大好きだった航空機の仕事を退職する決意ができましたし、いま健康でいられることが本当に当たり前じゃないということを身をもって学びました。
退職後は地元大阪へ帰り、なにか健康に携わる仕事がしたいと漠然とした思いを抱くようになりました。
フィットネスクラブでアルバイトをスタート。
退職後、地元の友人がフィットネスクラブに通っているという話を聞き、学生時代に所属していたバレーボール部の練習に明け暮れていた日々を思い出し、某フィットネスクラブに面接へ行くことを決めて後日採用していただきフィットネススタッフとしてアルバイトをはじめました。
フィットネスクラブではお客様のマシン利用の案内やサポートをメインに、ジムエリア・プールの安全管理を担当していました。
もともと運動経験があったものの、マシンの名前や使い方、どこの部位に効くトレーニングなのかを覚えることにとても苦戦していましたが、フィットネスクラブという清潔な環境、図面やモノではなく目の前には常に人がいて、健康に対して前向きな方達と向き合う中で得られる経験がとても新鮮で、充実した日々を送ることができました。
また、前職の経験を活かしてマシンメンテナンスという担当業務を任されていました(笑)
フィットネススタッフの仕事にも慣れだしたころ、当時お世話になっていた社員さんより『スタジオレッスンを担当してみる?』とご提案いただき、1年くらいが経った頃からスタジオインストラクターを担当することになりました。
一番最初に担当したクラスは、ステップ台での有酸素運動やダンベルを使った筋トレを複合させたレッスンでした。
(本番直前でいつも緊張。お手洗いかけ込み常習犯でした。笑)
今まではマシンの使用方法をご案内することが主な役割したが、スタジオレッスンでは音楽に合わせて動きの連続に応じた言葉を使い、お客様が安全に動けるよう誘導する能力が要求されます。
そして、スタジオレッスンは集団で実施するからこそただ動き方を伝えるだけでなく、ステップ台に上る時やダンベルの持ち上げ方など動きのポイントを正確に伝えなければ同じ動きをしていても運動効果は薄れてしまいます。
インストラクターデビュー当時は、音に合わせて間違えないように動くことで精一杯でした。
そうなると参加して下さるお客様も私の動きを真似るだけになってしまい、楽しむことや動きのポイントが意識できず間違えないよう動くことだけに集中しているような状態でした。
どのようなクラスが参加されるお客様にとって動きやすく楽しいレッスンになるのか?
どの様な伝え方がひとつひとつの動きに対して効果を感じていただけるのか…
インストラクターデビュー当時、集団指導における壁にぶちあたりました。
勤務が終了したらスタジオで黙々と練習し、レッスンを担当している先輩スタッフにレッスンを見てもらったり、他店舗へレッスンを受けに行ったりなど、伝え方など改善点を修正していきました。
特に修正したことは、レッスン中にお客様の動きを観察できる余裕を持つことでした。
そしてある日、いつものようにレッスンを担当して終了後にスタジオから出ようとしていた時、レッスンに参加されていたお客様が私に声を掛けて下さりました。
『私がスタジオレッスンに参加するのは体力的にも無理だと思ってたけど、石堂さんのレッスンを受けるようになってから他のレッスンにも参加できるようになったの。』と、お言葉をいただき嬉しくて堪りませんでした。
航空業界から転職してフィットネス業界に入り、誇れるような実績や専門的な知識など何もありませんでしたが、微力ながらもその人にとっての特別に貢献出来たと実感した瞬間でした。
その頃からもっと人間の身体について深く学んでいきたいと考えるようになりパーソナルトレーナーという仕事に興味を持ちはじめました。
それからはフィットネスクラブが主催している勉強会にも積極的に参加するようになり、時間があれば専門書を読みあさりトレーニングの魅力に取りつかれていきました。
ピラティスとの出会い。
フィットネスクラブで勤めていた頃は朝の時間に出勤することが多く、ジムを利用されるお客様は出社前の会社員の方や年配のお客様がほとんどでした。
あるお客様とお話をしていると、『膝が痛くて病院に通っていたんだけど、先生から筋肉をつけなさいと言われてジムに入会したもののマシントレーニングは初めてだしどんな事をしていけばいいのか分からないのよ』という状態でした。
脚の筋肉を鍛えるマシンの使い方をお伝えすることは出来ても、膝の痛みを改善する方法が何も分からず私はそのお客様に対して、力になれる提案がなにもできませんでした。
漠然としていましたが、その頃からただ単にマシンを使ってトレーニングをするのではなく、身体の状態に合わせた運動方法の提案ができるようになりたいと考えるようになりました。
そんな思いを抱くようになっっていた時、当時私が勤めていたフィットネスクラブで絶大な人気を誇っていたトレーナーさんがいました。
そのトレーナーさんのトレーニングの内容はマシンを一切使わず、マットの上で不思議なエクササイズを提供していました。
何をやっているのか興味深々でお話しを聞いてみると、『ピラティス』について詳しく教えていただきました。
ピラティスはただ単純に身体を鍛えるエクササイズではなく、生活習慣や怪我などによって偏ってしまった筋肉や姿勢を、人間が本来持っている理想的なバランスに復元していくものと教えていただき、求めていたものは正にこれだ!と、すぐにそのトレーナーさんが開催するPHIピラティスインストラクターの養成講座に申し込みました。
(ピラティスの師匠による愛のある指導の図。正しいポジションで正しく動かすからこそ、今までに感じたことのない新しい刺激と感覚が身体中に入ります。)
PHIピラティスは『STUDY OF MOVEMENT ~動きの再学習~』という創始者の言葉があり、単にエクササイズを処方することではなく、姿勢やエクササイズの動きを通して得ることのできるお身体の情報に合わせた介入が出来る確立されたマトリクスに感動し、資格取得後もピラティスをもっと深く学んでいきたいという思いが強くなりました。
挫折を経て独立の道へ。
ピラティスをもっと深く学ぶために、フィットネスクラブを退職しピラティスを教えていただいたトレーナーさんが経営するピラティス専門スタジオのトレーナーとして迎えていただき、活動をスタートしていきました。
これまでフィットネスクラブでやってきたスタジオでの集団指導と違い、マンツーマンでのトレーニング。
意気込んでお客さま対応するものの…
『効いている感覚が分からない』
『動きが難しい』
『腰、首が痛い』などなど、意図していることや伝えたいことが全く伝わらないという状態でした。
なによりもお客さまが楽しんでトレーニングを受けていない…。
あげくの果てにトレーニング拒否を受けたこともありました。
改めて当時を振り返ると、お客さまの素直なリアクションのひとつひとつは、伝わるように伝えることが出来ていないからこそ当然の結果でした。
ちゃんとマニュアル通りの指導ができているはずなのに…
どうすれば相手が求めているものに応えることができるのか…。
当時は自分に足りないと思うものを埋めるために、トレーナーや医療従事者向けの勉強会などやみくもに参加していました。
しかし、足りないものを埋めるために得た情報をそのまま伝えるだけでは、当然お客さまには響くわけがありません。
それは、目の前にいるお客さまにとっての最善に寄り添うということに向き合うことができていなかったからです。
運動を指導する立場として、大切なお客さまのお身体と関わる上でアウトプットするための引き出しを増やすことはもちろん大切なことです。
しかし、どんなに優れた情報だったとしてもお客様にとってそれが必要なものとして届けることができなければ、伝わるようには伝えられないと気がつきました。
トレーナーという仕事から1度離れてみるということも考えた時期もありましたが、『ずっと悩まされていたぎっくり腰が改善された』、『四十肩が改善された』、『体調を崩しやすかったけど、風邪もひかなくなってきた』など、お客様からいただく言葉のひとつひとつが私のトレーナー活動における大きな支えとなり、生涯の仕事として全うしていきたいという想いが強くなりました。
複雑な現代社会を生きる私達だからこそ、姿勢の悪化から波及していく様々なからだの問題を解決するため、ピラティスをより多くの人に届け触れていただきたい。
『生涯自分の足で立ち、歩き続けるために。』というトレーナー活動におけるミッションを掲げ、ピラティスという大きな柱の中で手段や考え方に捉われず、目の前にいるお客さまにとっての最善に寄り添うため2018年4月より独立を決意。
多くのご縁とご支援をいただき、2019年1月に大阪市鶴見区の今福鶴見にfocoluluピラティス&パーソナルトレーニングスタジオをオープン。